宮城作品「シシオドリ海を渡る」シナハンを遂行!!


南三陸町水戸辺地区

2018年初夏、晴れ渡る三陸沿岸を劇作家・黒川陽子氏と一週間に渡って歩きました。
南三陸を中心に石巻や仙台を行ったり来たりしながら取材を重ねていきました。
三陸市民が演じる「シシオドリ海を渡る」のシナリオハンティングが目的です。


水戸辺鹿子躍の村岡会長

最初に、南三陸町の水戸辺鹿子躍の村岡会長に話を聞きました。一度途絶えてしまった鹿子躍を復活させるために奮闘してきた会長に、なぜ鹿子躍をいまも牽引しているのか?とお聞きすると、「鹿子躍は、家族のようなもの。次の代に引き継ぐまでは、辞めれないよね。」と暖かい眼差しで答えていただきました。

水戸辺鹿子踊供養塔 1724年建立

書物があまりない民族芸能の歴史を紐解くために、災害と文化に詳しい宮城教育大学の山内明美准教授(南三陸出身)、東北大学の柴山明寛准教授、川島秀一シニア研究員の話を聞きました。三陸沿岸は、何度も集落自体が消えるような大きな災害や飢餓(餓死=ガス)に見舞われてきたそうです。重い話になりますが、耕そうとするとすぐに土の中から仏さん(屍)が出てきたから、新たな入植者達はたまったもんじゃなかった。なるほど、いろんな芸能の中にある「回向(供養)の踊り」が、なぜ腰を低くして土を踏みしめるのか、わかったような気がしました。 悲しいことがあっても、三陸の人々は、明るく暮らすことができるのだと言います。大きな不幸が起きれば必ず大きな幸運が次にやってくるというポジティブな思考が暮らしの中に染み込んでいるのです。

一迫の鹿躍大会
そして、幸運にも、取材中に宮城県一迫で鹿踊大会があり、6団体のシシオドリを見ることができました。発祥は一つだったかもしれないシシオドリがそれぞれの地へ伝承されて今に到るまで、それぞれの景色や風土に合わせてカタチを変えていったのでしょう。


水戸辺の漁港
「鹿踊り・獅子躍・鹿子踊」と書き方も多様。時代による変化や踊り継いできた人たちのゆったりとした時間の経過を感じて、過去から未来へ繋がっていく民族芸能の強さを感じました。「本物は復活させる価値がある」村岡さんがおっしゃっていたこの言葉は、いまでも頭の中を反芻しています。


東北大学の学食 黒川さんお疲れ様

文:未来



コメント

人気の投稿